2015/03/18

私と中国工場との考え方のギャップとは


1990年代は、我が社の主力は中国製品でした。
現在の会長(当時社長)、義理の父が誰よりも早く、中国へ仕入れに行き、日本製に程よく近く、安く仕入れて、
日本の地方問屋へ商品を売りさばいていていました。

バブルが弾け、中抜きが横行し、誰もが中国の仕入れに殺到していた時期でした。
中国仕入れの優位性が低下している時期でもありました。

数件でかなりの売上が期待できた時代も終わり、
日本全国のカタログギフト問屋や、まだ取引のない地方問屋さんを馬車馬のように開拓していました。

北は北海道から、南は九州まで・・

私も大手電機メーカーを退職し、
婿養子の立場上、新規開拓に邁進し、中国にも早くから仕入れにいっていました。
但し、いくつかの疑問を胸にひっかけながら・・・・

1990年代当時の中国工場は、日本の高速織機ではなく、
いわゆるコピー織機を大量に設備し、大量の安い人件費の従業員を24時間のフル操業し、
大量に安く日本の売れる商品をコピーして作っていたのでした。

食堂の社員のお皿は洗面器、“ご飯と野菜炒め大盛り”、
穴だけのお手洗いには、糞の山、団地のような社員寮とまさに開放改革路線まっしぐらでした。

私が気になったのは、河川へそのまま染料を垂れ流し、工場の側の敷地はゴミの山、
晒し工程には日本では使用禁止の溶剤をガンガン使う。
(もちろん発癌物質が含まれていたであろう・・・)

工場の人間とのやりとりは今でも忘れません。 私:「この溶剤で生産した敷きパットに・・・自分の子供を寝せますか?」

工場の人:「絶対に寝せない。」

私:「日本に輸出するのは、心苦しくないの?」

工場の人:「安く作るように要望してるのは日本人!要望に合せて作っているだけだ!」
ショックでした・・・
確かに要望しているのは日本人でしたが、
実際に使う消費者の立場に立って、商品を作る発想は当時の中国工場にはなかったのです。

無理もありません・・・とにかく大量に作って、大量に売って、たくさん儲ける。
誰よりも早く先行者利益に邁進している中国工場に、公害や人体への弊害を説いても・・・
競争と儲けの論理で頭がいっぱいなのです。

1980年代の大学時代、私はレスターブラウンの本を読み、
環境問題を知って大変ショックを受けました。

NPO法人ネットワーク地球村の、高木さんの講演を何回も聞き、
なんとかしなければと焦ったことを覚えています。
そんなことは経済発展に邁進している中国の人達には関係ないのです。

私が国内メーカーを潰しているのでしょうか?へ 続く・・