2015/06/03

キャメル5本指靴下とガラ紡


キャメル5本指靴下は我が社の傍の西三河地方にあります。
歴史的に、西三河地方はリサイクル繊維産地とも言われています。

岡崎市を中心にした西三河地方には、
反毛工業の繊維再生機能を核にしたリサイクル繊維の産業集積が存在しています。

反毛とは、不用となった糸や布地などを専用の反毛機械を使って、もう一度“わた”の状態に戻す工程のことをいいます。
新品の繊維素材に比べ安価な再生繊維原料を提供できることから、明治、大正から昭和の戦前までは、ガラ紡業界とともに発達を遂げ、岡崎市および周辺地域が紡績業を中心にした一大繊維産地を形成していました。
反毛工業は、落綿などの原料をガラ紡機に合うように打ち直し、ガラ紡績業界へ糸を提供することで、発展の基礎を作り上げました。

反毛は、まず端切れや残糸を細かく裁断し、湿気を与えて積み上げ、それを再びバラバラにして混ぜ合わせます。
その後に、金属針を植えつけたドラムが回転する装置の中に投入し、引っ掻き、引き揃えるなどの工程を何回も繰り返し、ワタのかたまりにして出来上がります。

ピーク時の1970年代には反毛業者数は112企業あり、年間生産数量は70,760トンもありました。
しかし、1998年頃には52企業で、34,170トンと半減し、現在はもっと減ってしまっています。

昔、「ガラ紡」と「臥雲辰致」は歴史の授業で暗記した覚えがあります。
明治10年頃、長野の僧侶であった臥雲辰致(がうんたっち)が、木製の日本独特の和紡績機械(ガラ紡)を考案しました。
(ガラ紡と呼ばれる由来は、原料の綿をつめた木管がガラガラと音を立てることからきたそう)
従来の糸紡ぎ(つむぎ)は1本1本の作業であったが、この機械は一度に10本以上の紡績が可能であり、生産性は飛躍的に向上していきました。

また、当時すでに輸入が始まっていた洋式の紡績機械に比べ価格が安く、小資本でも購入できたことがさらに人気を呼びました。
江戸時代より全国有数の綿作、綿製品の産地であった西三河地方では、水力を動力とする方法でガラ紡の導入が進んでいきました。

矢作川およびその支流での設置が多く、盛んになりました。
大正時代には動力が電気に移ることで、陸上での操業が主体となり、昭和にかけても拡大していきます。
昭和30年代までがピークで、全盛期は1000件近くの工場がありましたが、現在では数件になってしまいました。

この歴史的な大発明により、西三河地方は繊維産地となり、これが現在の5本指靴下産地へとなる下地となるのでした。