2015/07/10

預言者マホメットとキャメル


西暦622年7月28日メディナでは一頭のラクダに町民が注視していました。町のどこに止まって跪(ひざまつ)くかを。


ラクダはメディナのクバーウ街区から、にぎやかなスーク街を通り過ぎ、空き地となっていたところで歩みを止め、突然跪きました。
乗っていたのはイスラムの預言者マホメットで、ヒジュラ(遷都)の劇的なフィナーレの場面です。

このラクダが跪いた場所が預言者が生前にモスクを兼ねた住居となり、後年現存する「預言者の大モスク」となった所です。

アンサール(メディナでイスラムに帰依した人々)の多くの誘いを受けたが、公平を期すべくメッカから騎乗してきたラクダに委ねたのでした。

「どうぞお寄りを!」というアンサール達の勧めに対して、預言者はその都度
「彼女(ラクダ)の道を開けてやって頂きたい。」
「彼女(ラクダ)は神に導かれておりますので」と答えて先に進んでいきました。

己のラクダが跪く所に居を定めるとしたこの場所はナッジャール族の所有になる土地で、空き地だったのはミルバド(ナツメ椰子の実を干す所)で、周囲はナツメ椰子畑でした。

カスワーウ(預言者のラクダ)はナッジャールの所に来て、その礼拝所の前に止まり跪いたのでした。
しかし預言者(マホメット)が降りることはなく、カスワーウは再び立ち上がると辺りを歩き始ました。預言者は手綱をしぼるでもなく、なすがままに見ていました。

カスウーワはやがて向きを変えて、最初に跪いた同じ場所に戻ってきて、そこに再び跪きました。それから体を一度ふるわせ、そっくり返った後、胸を地面につけたのでした。
そして、預言者はカスワーウから静かに降りました。

預言者は一旦カスウーワが跪いても降りようとしず、
カスウーワのなすがままに委せ、再びカスウーワが立ち上がると手綱もゆるめたままにして歩ませた。
カスウーワは歩き回って再び元の位置に跪いた。

預言者はこのカスウーワが歩き回って一周した足跡を辿って、これをモスクの周囲と決めたのでした。
こうしてイスラムで始めての公の集団礼拝所と預言者の家がここに建立されることになりました。

今に残るメディナの大寺院はいくたの拡張と改良を加えられたものでしたが、その礎石はラクダ、カスワーウの踏んだ足跡の辿りであったわけです。

預言者ソロモンが鳥獣の言葉を解したことで知られるように、預言者マホメットもその伝承の中に動物の言葉が理解できたという話がいくつか伝わっています。
預言者のラクダ、カスワーウが主人公になる記述はこれだけですが、預言者の足となって、メディナからの遠征する乗り物として記述されています。

預言者は没する前年632年3月、病をおして最後のメッカ巡礼を行いました。「別離の巡礼」と呼ばれるものでしたが、この時のメッカ・メディナ間を預言者を支えて足となったのがカスワーウだったそう。
また3月8日のアラファート山では、集まった信者を前にカスワーウの背の上から最後の垂訓を行いました。

預言者にはカスワーウの他に、もう一頭乗用のラクダがおり、アドバーウという名で非常に駿足で走力がありました。
マホメットは預言者となる前は商人であり、しばしばシリア方面に隊商の一員として行ったことが知られています。これは歴史的事実であるから、隊商との関連上、ラクダの知見はもちろん、騎乗体験も豊かにあって、経験的にも良く知っていたことは間違いありません。

預言者マホメットの乗り物としてこれほど活躍したラクダがいたとは、日本人はほとんど知りません。私も始めて知ったくらいです。アラブがラクダを神聖な動物と崇めているのは、このマホメットとラクダとの結びつきなしでは語れないからかもしれませんね。